2003年度

 

 

第37回  2004.03.13  屋根のはなし -遊川建築設計事務所 遊川真二様-
            矢野町並み見学会の報告 -河野設計室 河野章様-
            今期の反省と来期の計画 -代表・事務局-
            懇親会

 

 

『伝統に学ぶ』というコンセプトのもと、「物語ものの建築史」シリーズを資料に知識を深めたいと思います。
今回は、遊川建築設計事務所 遊川真二氏の提案で『屋根のはなし』の第4章を基に勉強会を開催しました。

 

第4章 素材と造形

 

 優美さの背景 檜皮(ひわだ)葺き
  檜皮(ひわだ)葺きは、日本以外例をみない。
  檜の樹皮は、3層からなっている。外側から「鬼皮」、「真皮」、「甘皮」(形成層)

  となっている。樹齢70~80年以上「鬼皮」だけをいったん剥ぎとり、7~8年後に

  25㎝幅の「真皮」を剥ぎとる。
  「皮こしらえ」:「平皮」、「軒皮」、「生皮」、「上目皮」などに分け、所定の寸

  法に切そろえる。
  「軒付け」:「茅負」、「裏甲」、「共皮蛇腹」、「軒皮」、「上目皮」を敷く。
  「平葺き」:「平皮」を敷き並べ竹釘で留める。葺き足がわずか1㎝程度である。

 

 檜皮葺きの経てきた道
  厳島神社摂社大元神社本殿:段葺き・押縁押え

               (6枚ごとに葺き足を24㎝に延ばした工法)
  旧矢羽田家住宅:茅葺の上から杉皮を敷き並べる屋根、屋根面上に「押桙」が露出し

          ない。
  「松崎天神縁起」:檜皮の剥がれた箇所から考察すると、竹釘留めされたと考える。

 

 貴と庶の楕円宇宙  板葺き
  藤原豊成板殿:モヤ・ヒサシともに、長さ5.8m、幅30㎝弱という長い板を棟から軒先

         へ葺きおろし、上に押えの板を載せた工法。
  法隆寺金堂・五重塔の裳階:板屋根で垂木がなく、直接桁に乗っている。
  貴族住宅板屋根の固定法:「押縁」を用い、母屋桁・木舞に釘打ちする。
  庶民住宅板屋根の固定法:丸太か竹を横たえ、その上に石、切株等の重しを載せる。

 

 謎の耐火建築
  江戸の明暦大火『振袖火事』(1657年):謎の死を遂げた少女の振袖を、お寺で供養

  するため燃やしたところ、火の粉が舞い上がり、大火事になったことにされている。

  実際のところ、老中宅が火元とあっては、幕府の沽券に関わるということなので、

  お寺が承知の上で濡れ衣をかぶったとされている。
  その後、茅葺きや板葺きの家屋が焼けたことで、幕府が「茅葺きには土を塗ること、

  柿葺きには土を塗るか『かきから葺き』にせよ」と命じた。
  徳川吉宗が町人の瓦葺きを分不相応という理由で禁じていたものを解き、1723年に瓦

  葺きへの転換に補助金を出す制度とした。2年後には、財政難で『かきから葺き』

  で良いとなった。
  江戸の景観
   豪商:桟瓦き
   庶民:板葺き

 

 権限様とポスト・モダン  金属屋根
  「銅瓦」:日光東照宮の屋根は、「檜皮」から「銅瓦」に葺き替えられた。野地板の

       上に半円筒形の木材を30cm間隔に並べこれを包むように銅板を巻いて施

       工する。
  金属屋根の葺き方:「横葺き」平面的に葺き重ねる技法と、「瓦棒葺き」の2種類。
  「屋上制限令」:機関車の火の粉が茅葺き屋根に落ちて火災にならないように不燃化

          とする法令。

 

 風に舞い散るスレートもあった
  スレートは堆積した粘土が固まった粘板岩。
  スレート屋根:箱根離宮(明治19年)、北海道庁舎(明治21年)
  スレート産地:宮城県桃生郡雄勝町、登米郡登米町の2ヵ所のみ。

 

 感想
  檜皮葺が持つ軽やかさ、しなやかさ、繊細さを生かす建築として寺社や寝殿造などで

  採用されていました。檜皮の採取は、8年の年月と手間が掛かっていました。江戸時

  代に幕府が一番恐れていたものは、『火事のよる延焼』でした。瓦は高価で、庶民が

  手軽に利用できる屋根材しては当時、「土」や「貝殻」しかありませんでした。

                                          文責:遊川真二

参考文献:『屋根のはなし』(山田幸一監修・石田潤一郎著)鹿島出版会

第36回  2003.02.14  民家講習会 第2回 「中国地方の民家」 ~地域の特性~

             -比治山大学 迫垣内裕様-

第35回  2004.01.17  吹屋ふるさと村/石火矢町ふるさと村 見学会の報告
             -遊川建築設計事務所 遊川真二様-
            屋根のはなし -遊川建築設計事務所 遊川真二様-

 

『伝統に学ぶ』というコンセプトのもと、「物語ものの建築史」シリーズを資料に知識を深めたいと思います。
今回は、遊川建築設計事務所 遊川真二氏の提案で『屋根のはなし』の第3章を基に勉強会を開催しました。

 

第3章 茅葺き屋根

 

 茅の小博物誌
  茅葺き屋根の材料/チガヤ:一般的、ススキ:暖かい地方、

           アシ:茨城・千葉・滋賀
  茅の採取・乾燥
   「萱刈り」秋枯れて黄ばんだものを刈る⇒冬、野積みにして乾燥、春天井裏で何年

   も寝かせる⇒春に茅葺を行う。
  耐久性:茅(40年):油分がある、麦わら(15年)、稲わら(7年):水を吸う。

  茅の度量衡

   茅の単位:1束(そく):周長1.5mに束ねたもの(直径48㎝)「文化庁基準」
   前原家住宅/建築面積109㎡、屋根面積273㎡。

         1,638束 1坪当り約20束 440?を必要とした。
   関西:「さんばたば」:五?みを三把束ねたものを1束(直径20㎝)
   京都:一尺三寸(約40㎝)の縄で束ねられる量を基準に(直径15㎝)

 

 屋根かご (茅をささえる技術)

  茅葺きの構造:叉首組(三角形に叉首を組んで、この上に棟木をのせる。)

         勾配45°(合掌造りは60°)
  屋根かごの構成:屋中(やなか)・垂木(たるき)・エツリを、わら縄で緊結する。
  屋中(母屋桁)〈横方向〉太い竹で叉首に縄でしばる。
  垂木〈縦方向〉3cmの竹又は、木を20~25cm間隔で固定する。
  エツリ(小舞竹又は、棧)〈横方向〉細い割り竹を10~15cm間隔で固定する。

 

 茅葺きの要を「とっくりじめ」に見た
  軒先の工程
   1.「茅負」(かやおい):垂木の先端に太い竹を横たえる。
   2.第1層目:「軒付」良質の短い茅を「茅負」の上にのせ「エツリ」に、縄で固

     定。
   3.第2層目:長茅の上に「押え竹」を横たえ垂木と挟み込む。
   4.第3層目:「水切り茅」最良質の茎のしまったものを、地上で長方形に固め、

     「押え竹」で固定する。
   5.隅棟が厚みと勾配を決定する。
   6.平葺きは一般に「元茅」、「裏茅」、「長茅」の順に葺いて、「押え竹」で固

     定する。
   7.「押え竹」は45~60cm間隔で配置し「縫い針」で2重に通し茅を固定する。

 

 棟の作り方
  「針目覆い」:長茅を棟と平行に横積み、さらに直角方向に「樞茅」をかぶせる。
         杉皮で覆い「腹竹」で押さえ、縄で留める。

         さらに「枕茅」をかぶせ、「棟竹」で押さえる。
  「竹簀巻き」:「樞茅」の上の杉皮を、竹で編んだスノコで包む。
  「置き千木」:木材をX字状に組み合せ、それを棟上に並べて、重みで「樞茅」を押

         える。
  「芝棟」:「樞茅」・杉皮の上に土を盛り植物の根で棟を強固にする。

 

 茅は根元を下に
  「一般的な葺き方」
   茅の根元を下に向ける。普通に敷き並べると上に行くほど勾配がゆるくなってしま

   う、これを調整するため「捨て茅」を加えることとなり、ずり落ちないように何度

   も固定することで結果的に密実な葺き方が完成した。
  「逆葺き」
   茅の穂先を下にむけるため、腐食が早い。普通に敷き並べても勾配がゆるくならず、

   押え竹も90cmピッチで良く、10cm程度の厚さで簡単に葺くことが可能。 

   (水車小屋・船小屋など簡略な建物)

 

 名人は屋根を粘土のように扱った
  茅葺きの仕上げ工程
   1.「ガギ板」:30x20x3㎝の洗濯板に柄が付いた物で、屋根面を突き固める。
   2.「叩き板」:オールのような道具で、軒先・螻羽(けらば)を叩き固めていく。
   3.「ハサミ」:刃の幅が広く、先端が上に反ってる。棟からはじめ、下に降りて

     いく。
   4.「縦刈り」:棟と直角にハサミを向ける一般的な工法。
   5.「横刈り」:棟と平行にハサミを向ける合掌造りの工法。
   6.「小ハサミ」:刃渡りが短く、直刃のハサミ。軒先の上面に5㎝ほどハサミを入れ

            軒線を決め、刈り込む。
   7.最後に、ほうきをかけて茅の屑を払い最終仕上を行う。

 

 茅葺屋根はなぜ消えたか?
  明治維新後、瓦が庶民の手にも入りやすくなり、瓦屋根やトタンをかぶせた屋根にす

  ることとなる。
  茅を育てておく「茅場」が、換金作物を作る田畑に変わって行き、茅が確保出来なく

  なった。
  定期的に茅を葺きかえる、労働交換の相互援助システム=「結」が機能しなくなった。

 

 「22条」のもたらしたもの
  建築基準法第22条(屋根)
  「22条」区域内では、火に燃えやすい茅葺き屋根は、使用できない。
  建築基準法第85条2(伝統的建築物群保存地区内の制限の緩和)
  『国』の指定されたもののみ茅葺屋根が可能となる。
  防火対策を推し進める半面、文化的遺産が置き去りにされているのが悲しい現状であ

  る。

 

 感想
  茅葺き屋根は、茅の栽培、・刈り込み・乾燥・屋根葺きと、住民共同作業によって機

  能していました。茅葺の家屋が1軒2軒となくなり、この村落共同体が崩壊していき

  ました。茅葺きの骨組みは、まるで『鳥篭』のように一つ一つ縄で縛り上げ、その上

  に茅を隙間なく敷き詰めた手の掛かる芸術品です。茅の根元を下に敷きつめるのには

  驚きました。根元の方が丈夫ですし、敷き厚が自然と厚くなり密着できるのです。

  まさに職人技です。

                                          文責:遊川真二

参考文献:『屋根のはなし』(山田幸一監修・石田潤一郎著)鹿島出版会 

第34回  2003.12.13  屋根のはなし -河野設計室 河野寛美様-

 

 

『伝統に学ぶ』というコンセプトのもと、「物語ものの建築史」シリーズを資料に知識を深めたいと思います。
今回は、河野設計室 河野寛美氏の提案で『屋根のはなし』の第1・2章を基に勉強会を開催しました。


第1章 屋根をさかのぼる

 

 「小屋」って何?
  小屋 : 天井と屋根との間の空間。
  小屋組 : 扠首(さす)・棟木(むなぎ)・屋中(やなか)・

        垂木・エツリ
  瓦の歴史 : 588年百済より 本瓦葺き(葺き土の上に、平瓦と丸瓦)
         17世紀後半   桟瓦葺き(葺き土の上に、桟瓦)
         明治10年頃   引掛け桟瓦葺き(瓦桟の上に、引掛け桟瓦)

 

 屋根の形はどうして決まるか
  切妻屋根の住居=真屋(まや)  :神社と町家に多い。
  寄棟屋根の住居=東屋(あずまや):農家に多い。(煙出し・採光用に入母屋形式)
  入母屋屋根 : 寺院建築に多い。
  屋根勾配(基本勾配):本瓦葺き(5~6寸)、桟瓦葺き(4~5寸)、

             茅葺き(10寸)、檜皮・柿葺き(7寸)

 

 日本列島に屋根が現われたころ
  竪穴住居:地面を深く掘り込み、4本柱+4本梁+扠首(さす)
  外転び:屋根の妻が大きく外に傾いている。

 

 竪穴住居を燃やさない方法
  「火棚」を設置し火の粉を遮る、通気を悪くして炎が上がらないように工夫した。

 

 ヤネの語源(推測)
  空中にあるのに「根」がつくのはおかしい?
   言語学上:大地に根を下ろしているもの。
   建築学上:建物(屋)の上方に位置し外部に面して空間を覆うもの。


第2章 屋根が変わる、建築を変える

 

 まぼろしの規模表記(奈良・平安・鎌倉時代)

  「間面記法」(けんめんきほう):建物の「モヤ(身舎)」内の梁間方向には柱はな

  く、桁方向にしか柱がない為、桁方向に柱間が何個あるかで「間」の規模を表現でき

  た。
  「面」については、「ヒサシ(廂)」が何面付いているかで規模が表現できた。
  例:「三間二面」とは、間口が3スパンで「ヒサシ」2面となる。

 

 中世の屋根革命
  奥行きの深い建物にする工夫
  「双堂」形式の屋根の上に大屋根。
  「内陣」(モヤ+ヒサシ)と「外陣(礼堂)」の(マゴヒサシ)を追加。
  室町時代には、梁が2~3スパンに架けられるようになり柱は、「モヤ」の屋根構造

  から開放され柱列も自由になる。

 

 屋根と天井
  組入(くみいれ)天井:梁や桁本体を枠として利用する天井。天井がないのが普通で

  あった。〈飛鳥・奈良時代〉
  吊下げ天井:框と板を梁から吊下げる工法。天井内が隠れるので、巨大な「野梁」

  を用いた。

 

 重層する屋根
  屋根の反りの工法
   「飛檐(ひえん)垂木」:垂木を二段重ねして伸ばす。
   「斗?(ときょう)」:「斗(と)」という立法体のクッション材と、

              「肘木(ひじき)」という腕木を組み合わせた工法。
   「しころ葺き」:勾配の違う所に段差と隙間があく葺き方
  勾配の緩くなる(凹)部分の工法の変化
   垂木の上に、直接「木舞」を並べ、大量の葺き土で曲面をつくる工法。

   〈飛鳥・奈良時代〉
   垂木の上に、扁平な三角形の材を添え、「木舞」を並べ、葺き土を敷く工法。

   〈法隆寺金堂〉
   垂木の上に、横木「土居桁(どいげた)」を渡し、「木舞」を並べ、葺き土を敷く

   工法。〈奈良時代〉
  最終的に「化粧垂木」の上に、さらにもう一層「野垂木」を組む工法となり『モヤ+

  ヒサシ構造』が平安時代に崩壊した。

 

 隠された独創 「桔木(はねぎ)」
  「化粧垂木」と「野垂木」の隙間部分の桁方向に「桔木枕(はねぎまくら)」を設け、

  これを支点とし、その上に太くて長い「桔木(はねぎ)」を梁方向に架け、根元に束

  を立て屋根の荷重を受け、軒先を跳ね上げている。
  「桔木」を補完する工夫としてよく用いられる手法に「力垂木」がある。
  「桔木」の使用により「斗?」は、単なる装飾にすぎなってしまった。

 

 西洋と出会う屋根
  和小屋:梁が束から強い曲げモーメントをうけるので部材が太い。
  洋小屋:キング・ポストトラス構造など原理的には、圧縮と引張のみ。

 

 感想
  日本古来の建物の美しさは、屋根の曲線美にあると思います。初期は、単スパンで単

  純勾配だったものが、空間が広くなり、反りをもつ屋根へと進化していく過程のなか

  で、注意深く見れば今日においても、そのなごりが生きているのだと気づきました。
  日本独自の「桔木」の工法により軒を深くかつ繊細な「化粧垂木」を見せることが出

  来たのです。

 

文責:遊川真二

参考文献:『屋根のはなし』(山田幸一監修・石田潤一郎著)鹿島出版会

第33回  2003.11.29  吹屋ふるさと村/石火矢町ふるさと村 見学会

第32回  2003.10.11  中国地方の民家2 -河野設計室 河野寛美様-

 

 

『身近な中国地方の民家』と題して河野設計室 河野寛美氏の提案で「中国地方の住まい」の第3章を基に勉強会を開催しました。

 

農家建築の構造

民家の歴史

戦国時代:兵庫県の千年家

安土桃山時代:兵農分離と検地により、自給自足する村が出現し、その地に永住するようになり、民家が発展していく。

時代と構造の変化:少ない部材で、部屋に柱がでないような構造へと変化する。掘立柱構造→垂木構造→叉首(さす)構造

 

民家の構造

上屋(じょうや):柱・梁・合掌からなる構造フレーム。

下屋(げや):上屋の外周にさらに屋根を引き延ばした部分。

 

垂木構造の農家

矢部家住宅(八頭郡八東町)「17世紀初期」
 棟木と桁を直接柱で支え、棟から桁に垂木を架け渡し、中央の柱に束を立てた工法。

旧真野家住宅(三次市小田幸町)「17世紀末期」
 部屋の奥行きを広くするため、柱を移動している。土間の割合が小さく、イロリをもつ板の間がある。

旛山家住宅(双三郡三良坂町)「18世紀初期」
 瓜剥きと呼ばれる下部は太く先端部は細くなった柱や、曲がった材料を上手く梁として利用している。

 

垂木構造から叉首構造へ

旧森江家住宅(苫田郡富村)「18世紀前期」
 上屋梁で室内の奥行きが決まり、下屋の柱で外に伸びる垂木を支えていた。棟に束のない単純で整理された構造。

荒木家住宅(比婆郡比和町)「18世紀初期」
 神官を勤めた家で、神棚を置くタカマと呼ばれる部屋があった。上屋梁が太くなり、室内の高さも高くなった。

福田家住宅(鳥取市紙子谷)「17世紀末期」
 時代とともに、オクノマと寝室となるナンドを増築したり、叉首構造には不要である束柱を取った痕跡がある。

奥家住宅(双三郡吉舎町)「18世紀末期」
 柱が部屋内にきちんと納まり、畳敷きが6室もある。屋根を支える梁組みは、5重にも積み重ねられている。

吉原家住宅(御調郡向島町)「17世紀初期」
 畳を敷く部分には松の角材を使用し、間取りにあわせて柱の位置を動かすなど、開放的な建物となった。

堀江家住宅(比婆郡高野町)「17世紀初期」
 上屋梁を7mと長くし、ナンドを広くするため下屋部分も室内に取り込んだ。湾曲する柱を使用している。

林家住宅(英田郡東粟倉村)「18世紀末期」
 庄屋の家。正面側に並ぶ4室の和室は、建具で仕切られ、背面が生活空間となっていた。

門脇家住宅(西伯郡大山町)「18世紀末期」
 庄屋の家。正面に3室、奥に3、4室並び中央にはカミノマがある。屋根は、4段に梁を積み重ねている。

犬養家住宅(岡山市川入)「18世紀初期」
 庄屋・武士の家、式台玄関と付書院を持ち、本瓦で壁は漆喰塗りで、農作業に必要な土間のある武家屋敷風建物。

 

農家

道面家住宅(鹿足郡六日市町)「19世紀初期」
 7.9mx6.0mの普通の農家。土間と2室の板敷きの部屋で構成。大規模な民家と同様、上屋柱を移動している。

堀江家住宅(飯石郡吉田村)「18世紀中期」
 土間に面して大広間を持つ間取りは、中央柱除去技術が進歩し中国地方では18世紀中期以降になって普及した。

前原家住宅(川上郡備中町)「18世紀中期」
 室内から梁を差し出して軒を支える出梁構造で下屋の柱を省略した。棟木の下に束のない完全な叉首構造。

佐々木家住宅(隠岐郡西郷町)「19世紀中期」
 庄屋の家。杉皮葺の大屋根には、飛散防止のため石が置かれ、正面には、オダレと呼ばれる子庇を設けている。

 

神官の住居

億岐家住宅(隠岐郡西郷町)「19世紀初期」
 入母屋・茅葺で、突き出した腕木で支える「せがい造り」の軒天井を、四周に設置。神棚を持つ神前の間がある。

林家住宅(佐伯郡宮島町)「18世紀初期」
 厳島神社の神主、緩やかな入母屋・妻入り破風には「猪子叉首」と、式台玄関上には、「千鳥破風」の装飾がある。

 

漁家の住居

早川家住宅(長門市通)「18世紀末期」
 土蔵造り・瓦葺で、太い木材を使用している。農家と町屋との中間的な存在である。


民家のまとめ
みよし風土記の丘の、旧真野家住宅を見学して来ました。茅葺屋根の軒先が頭に当たるぐらい低く、開口部は北側に2ヵ所と、南面の縁側と出入口の開口しかなく、東西面にはまったく開口部がありませんでした。建物の土壁と茅葺の屋根が自然の中で融合しているかのようでした。上屋と下屋を組み合すことで、急勾配の屋根に室内空間を確保し、部屋に柱が出ないように、工夫されてきました。社会環境、生活様式や風土の違いにより、構造、間取りや建具が進化していった結果、「農村の民家」、「町並みの町屋」など、伝統的な都市景観を今に残しています。


文責:遊川真二
参考文献:中国地方の住まい(光井渉著)INAX ALBUM26

第31回  2003.09.20  中国地方の民家1 -河野設計室 河野寛美様-

 

 

『身近な中国地方の民家』と題して河野設計室 河野寛美氏の提案で「中国地方の住まい」の第1・2章を基に勉強会を開催しました。

 

都市と農村

中国地方:「畿内」(近畿地方)と「西国」(九州)との中間に位置することに由来している。

「中国」的な特質:失われてしまった古い形式をもつ遺構が、沿岸部や山間部に点在している。


都市と都市住宅

宿場と町屋:街道のある山陽道の「矢掛宿」「船木宿」、江戸時代船による海上交通が主流で、海運業や問屋とともに港町が栄えた。鉱業を基盤とした「石見銀山」、「吹屋銅山」にも宿場と同等の都市構造が存在していた。

在郷町:農村部に成立した商工業の町、大商人が現れる。「倉敷の大原家」、「竹原の頼家」

港町と漁村:海運業や問屋の住宅には、雁木〈がんぎ〉(船着場)や蔵を併設。

城下町と武家屋敷:城郭の周囲に武家屋敷地を巡らし、その外側に町人地や寺町を配置。土間は小さく、畳を敷き詰める部屋が並び、式台玄関を持つものが多い。


町屋の原型

木原家住宅(東広島市高屋町)「17世紀中期」
 酒造業。ヒロシキ(板の間)が広い。角地にあり側面(妻側)から採光を確保。

後藤家住宅(米子市内町)「18世紀初期」
 町人。切妻造・平入りでミセノマに「登り梁」を架け、正面の出格子から採光を確保。


町並みと町家

柳井の町並みと国森家住宅(柳井市柳井津)「18世紀中期」
 入母屋造の妻入で、正面に深い庇が道路に連なっている。
 ミセの開口部は、内側に跳ね上げる形式の板戸(ブチョウ)を設けている。

大森銀山の町並み(大田市大森町)「17世紀中期」
 鉱山の採掘者、商人、幕府の代官所や郷宿などで形成され、町全体が柵で囲われていた。

吹屋の町並み(川上郡成羽町)「17世紀末期」
 銅石と弁柄(べんがら)の町、弁柄を格子戸や漆喰壁に混ぜて微妙な色合いをつくりだしている。
 入母屋と切妻、平入りと妻入りが混在し、赤茶色の石州瓦と白、紅色などの色彩豊かで異色の町並みである。


在郷町の大型町家

倉敷の町並みと大橋家・大原家住宅(倉敷市)「18世紀末期」
 天領(幕府直轄領)を受け持つ代官は、在職期間が短いため、豪商が町の運営を行い、さらに富を蓄えた。
 米と綿花を扱う流通都市として発展した。船着場と蔵を持つ、間口広い白壁の町並みを形成している。

竹原の町並みと頼家住宅、春風館と復古館(竹原市竹原町)「19世紀中期」
 製塩、酒造や廻船業の町、切妻・妻入りで道路面に庇が連なり個性的な格子戸で形成されている。
 春風館:武家屋敷風。 復古館:木太い格子。


港町の町並みと町家

御手洗の町並み(豊田郡豊町)「18世紀中期」
 廻船の航路が陸伝いから、島伝いに変化し船の潮待ちの条件に恵まれたことで、問屋や船宿が発達した。

鞆の町並みと太田家住宅(福山市鞆町)「19世紀初期」
 東西の海流の分岐点で、重要な港であった。足利尊氏→足利義明は、「鞆に興って鞆に滅びる」と言われている。
 海側が入母屋で反対側が切妻造、複数の蔵を持つ豪商であった。鎖国下にあって国際都市でもあった。


宿場と本陣

矢掛の町並みと石井家・高草家住宅(小田郡矢掛町)「18世紀中期」
 宿場では、珍しい切妻造・妻入で正面に庇を葺き下ろしている。
 石井家:入母屋・平入りで御成門をもつ。高草家:建物配置は、「表屋づくり」。


御成と民家

木幡家住宅(八束郡宍道町)「18世紀初期」
 大名の宿泊した本陣的な施設。土間と居室部の境に、広い板の間を持たない。

森田家住宅(阿武郡福栄村)「18世紀中期」
 藩主の休息所も兼ねた庄屋。式台玄関、座敷飾り、畳廊下や落縁(おちえん)を持つ。


城下の町家と武家屋敷

萩城下・菊屋家住宅(萩市堀内)「17世紀中期」
 商家。式台玄関、ミセと土間の通路を隔ててムコウミセを持つ。

萩城下・熊谷家住宅(萩市今魚店町)「18世紀中期」
 酒造業。土間と平行して2列に畳の部屋を並べ、土間の割合が小さくなった。

萩城下・口羽家住宅(萩市堀内)「19世紀初期」
 家老格を勤めた家。長屋門と、土壁の壁面は、白漆喰となまこ壁で覆われている。

萩城下・厚狭毛利家萩屋敷長屋(萩市堀内)「19世紀中期」
 屋敷地の外周は、白漆喰に小さな格子窓、内側は開放的な障子戸で上級武士の宿泊室か事務所と想定される。

岩国・目加田家住宅(岩国市横山)「19世紀初期」
 式台玄関をもつ来客部屋と生活空間との間には、ナカノマを介して配置されていた。


岡山県川上郡成羽町の、吹屋の町並みを視察することになりましたので、後日報告いたします。

 

文責: 遊川真二
参考文献:中国地方の住まい(光井渉著)INAX ALBUM26

第30回  2003.09.05  民家講習会 第1回「日本の民家入門」~民家の見方・楽しみ方~ 
             -比治山大学 迫垣内裕様-

第29回  2003.07.26  民家の見方・楽しみ方2 -河野設計室 河野寛美様-

 

『民家の見方・楽しみ方』と題して河野設計室 河野寛美氏の提案で「日本列島民家入門」の第3・4章を基に勉強会を開催しました。

民家は、居住の中心となる主屋(おもや)、これに付属する納屋(なや)や倉、畜舎などの生産に必要な建物、門や離座敷など格式を表現し、複数の付属家とともに屋敷地を形作っています。
敷地の周囲に樹木を植えて屋敷林を作り季節風から建物に被害が及ばないように工夫されています。

旧真野(しんの)家住宅(広島県立みよし風土記の丘)
旧真野(しんの)家住宅(広島県立みよし風土記の丘)

代表的な例として。
 富山平野のカイニョ:季節風・フェーン現象対策
 出雲平野の築地松(ついじまつ):季節風対策
 関東平野のケヤキの屋敷林:季節風対策
 沖縄の石垣を築き、さらにフクギなどを植栽:台風対策

民家の大きな特徴は専用住宅でなく、作業場をともなった併用住宅です。
 居住部分:居間(いま)、寝間(ねま)、客間など
 作業空間:広い土間(どま)

土間の床には粘土に石灰、にがりを入れて叩きしめ、吸放湿性をもった仕上材として見直されてきています。
民家の土間は、ニワ(作業空間)、ダイドコロ(炊事場)、ドヂ(床)などと地方によって異なった呼び名があります。

ニワ・チャノマ・オキマ
ニワ・チャノマ・オキマ

間取りの型の代表的なものとして。
 前座敷三間取り(まえざしきみまどり)
 広間型三間取り(ひろまがたみまどり)
 四間取り(よまどり)<田の字型>
  平座敷:2室の座敷が表側に並ぶタイプ
  妻座敷:2室の座敷が妻側に並ぶタイプ
  鍵座敷:3室の座敷が表側から妻側にL型に並ぶタイプ

床の間を備えた座敷は当初、庄屋、名主などの家に別棟で作られていました。
武士を接待するために書院造風の座敷が必要であったためです。
やがて、別棟でなく主屋のなかにとりこんだ客座敷が生まれました。
その後、一般農民にも広がり最終的には、書院造風の続き座敷をもった四間取りへと確立されました。

 

町屋は、道路に面して敷地が短冊型にならんでおり、「うなぎの寝床」とよくいわれます。
通り庭(トオリニワ)[土間]は、出入口あり裏へと通じる、通路であり、商(あきない)の場でもありました。
町屋の通り庭が、のちのちまで床張りとならず土間のままであったのは、裏にある便所の汲み取りのためでもありました。

代表的な例として。

民家において空間の秩序は、座敷のあるほうを「上手」(かみて)、土間や炊事場のほうを「下手」(しもて)また、正面側が「表」、背面側が「裏」、このほかに土間の入口のほうを「口」、裏側を「奥」と位置づけています。

イロリ
イロリ

イロリを囲んで座るときには、決まりごとがあります。
「ネコとバカはヨコザに座る」という、ことわざがあります。
礼儀知らずのたとえです。主人の座る位置は「ヨコザ」といい、上手の座で、押板(オシイタ)を背に向かいに土間があります。
「ヨコザ」と向かい合う位置は、「キジリ」といい下座になり近くに薪があります。
「ヨコザ」と直角になる奥の座は主婦の座で、「カカザ」などと呼ばれます。
背後に膳や食器を収納する戸棚があります。
これと向かい合う表側は、「キャクザ」です。

農家では普段は、座敷の畳は上げておき、盆や正月、儀式があるときのみ、畳を敷くのが普通でした。
その後座敷は、畳敷きとなり、竿天井が張られ、縁側が廻り、主座敷には床の間、棚、書院の座敷飾りが備えられました。
もともと民家の書院座敷は武士なり身分の高い人を迎える部屋として作られたものなのです。
最近、部屋の入口付近に床の間がある料理店を見かけることがありますが、入口は「下手」、床の間は「上手」の上下の空間秩序がわからなくなってしまい、お客さんにどの席に座ってもらおうかと、困る事もあります。

垂木構造
垂木構造

茅葺屋根の代表的な構造として。
 棟木・垂木構造(オダチ組):棟束を立て棟木を支え、棟木から垂木を配る工法
 サス組:三角形にサスを組んで、この上に棟木をのせる工法
 サス組(棟束併用):梁間が広い場合に、サス組に棟束を併用する工法
 瓦葺屋根の構造は「和小屋」で、小屋束を密に立て、母屋桁を受け、小屋貫で固める工法

民家は、私たちの祖先が長い年月をかけて培ってきた財産です。
その地域にある素材を有効に活用しながら、大工さんの経験と近隣住民の協力のもとに建てられました。
民家は建てたその時点より、年月を経るにしたがって美しさを増してきます。
本物だからです。
現在ある建物だけでも保存していかなければなりません。

文責:遊川真二
参考文献:日本列島民家入門(宮澤智士著)INAX ALBUM14

第28回  2003.06.21  民家の見方・楽しみ方 -河野設計室 河野寛美様-

 

『民家の見方・楽しみ方』と題して河野設計室 河野寛美氏の提案で「日本列島民家入門」の第1・2章を基に勉強会を開催しました。

 一般に民家は農民や商人、職人、漁師、猟師など庶民の住まいをさしています。
江戸時代の身分制度「士農工商」のうち農工商にあたる人々の住まいです。
一方、公家や武士の貴族住宅は、寝殿造(しんでんづくり)として平安時代に完成され、中世の過渡期を経て桃山時代に書院造(しょいんづくり)に発展しました。

貴族住宅の様式:「堂」
民家の住宅様式:「小屋」(貴族住宅の影響をうけて飛躍的に発展した)

民家の構造は、中世以前の地面を掘り下げて穴に柱を埋める掘立柱(ほったてばしら)の形式から、江戸時代には、大きい石の上に柱を建てる石場建て(いしばだて)へと変化していきました。

 民家は、農家と町屋(まちや)に分けることができます。

農家:敷地の中央付近に主屋(おもや)が建つのが普通です。
町屋:道路に直接面して建ち、隣同士の屋根や庇の高さをそろえるなど、美しい町並みを形成しています。

 民家の屋根形式は、切妻造、寄棟造、入母屋造が基本となっています。
屋根材料として茅葺(かやぶき)が一番多く瓦葺、板葺などがあります。
茅葺の材料は、アシ(ヨシ)、ススキ、小麦からなどです。
また、鴨居(かもい)に構造材として断面の大きな差鴨居(さしがもい)を用い、溝を彫り建具のレールの役目も果たしていました。

 民家は、尺(しゃく)と寸(すん)を長さの単位として建てられています。
京間:1間=6尺5寸(1.97m):畳の大きさを基準とする。内法制(うちのりせい)
中京間:1間=6尺2寸(1.88m)
田舎間(江戸間):1間=6尺(1.82m):柱と柱の芯を基準とする。芯々制(しんしんせい)

 民家では、主要な入口のある面を正面としています。
平入(ひらいり):大棟に平行な側に出入口をもつもの。
妻入(つまいり):大棟と直角の側に出入口をもつもの。地方によっては、「役」や「格式」を示します。

 高さの基準となる、床高、内法高、貫(ぬき)位置、軒高、棟高、天井高などの位置を、1本の棒に刻み大工さんはこれを用いて墨付けをしていきました。この棒を間竿(けんざお)、尺杖(しゃくづえ)と呼ばれています。

 現在のような設計図がなくても、ごく簡単な図面で建物を建てることができました。
近世の民家は類型化しており、大工さんたちも経験を積んでいたためでしょうか。
民家は建築家なしの建築、その地方の気候や自然、生活に合理的な、ヴァナキュラー(風土的な)建築です。
神様の建築だという人もいます。

文責:遊川真二
参考文献:日本列島民家入門(宮澤智士著)INAX ALBUM14

第27回  2003.05.19  家並みについて ~いい屋根とは~
             -名古屋工業大学 名誉教授 宮野秋彦様-

第26回  2003.04.26  平成15年度広島住宅研究会コンセプトについて
             -代表・事務局-
            日本農林規格(JAS)と建築基準法の改正について
             -永大産業様-
            換気設備装置の義務付けについて
             -(株)三菱電機ライフファシリティ-ズ

                              テクニカルセンター様-